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第9回 国風文化と言うけれど

デジタル復元師 小林泰三


©小林美術科学

中学生のころに学ぶ歴史の中で、「国風文化」という言葉が出てくる。
次々に上陸してくる大陸文化に、圧倒されながらそのまま受け入れ、学んでいく奈良時代までの傾向とは異なり、平安時代も進んでいくと、だんだんと日本人らしさが見えてくるというものだ。
「ひらがな」や、その書や和歌なども「国風文化」に違いないが、絵画的にはどういうことなのだろう、と思っていた。
もちろん、絵巻物などが独自の進化を遂げ、くるくると手で操作することで、アニメーションのように絵が展開するようになったのは、日本人の今にも通じる国民性ではないかと思っている。
しかし、私が言いたいのは、「色の国風文化とは何か」ということだった。

私がそれに気づいたのはWOWOWの「美術のゲノム」という番組で取材をしていたときである。
正直申し上げると、そのまま教えていただいたにちかい。
ある美術館の先生が、「(仏画では)平安から鎌倉にかけて、色を中間色のグラデーションにしたり、銀を使ったりする」とおっしゃったのだ。

この「色めきばなし」の第1回、第2回でご紹介した、奈良時代の大仏殿の様子、そして「紺丹緑紫」のド派手な色使い。これは、鮮烈な色を補色関係に組み合わせて(青ならオレンジ、緑ならピンク)、コントラストが際立つように配色した、という話である。その傾向から穏やかな中間色、そしてなだらかに変化させるグラデーションに変化していったことを示している。

しかし私が注目したのは特に「銀」の方であった。
永遠に輝く金とは違って、酸化によってすぐに黒くなってしまう銀を果敢に多用したという姿勢である。
変化するのを厭わずに、いやむしろその変化も前提に使っていた、というのにはなぜかしっくりする想いがある。
人は永遠に輝き続けることはできず、いつかは死を迎える。
そこまでいかなくとも、若い人も歳を重ね、栄える者もいつかは坂を下る……。
つまりは当時の「無常観」とぴったりと一致するからである。

そのような想いを知った上で、改めて「源氏物語絵巻」を見てみる。
なぜこれほどまでに銀を多用したのか。
特に「蓬生」の場面では、荒れ果てた庭を月光が照らし出し、物思いにふける男の心情をよく表している。
今は、この画面も黒くなってしまい、一見何が描いてあるかも分からない。
この復元画を通して、その変化していった様を考えると、それそこ「無常観」ひとしおである。



  小林泰三・こばやしたいぞう

1966年、東京生まれ。
大学卒業時に学芸員の資格を取得。
2004年小林美術科学を設立し、本格的にデジタル復元の活動を開始。
著作に「誤解だらけの日本美術」(光文社新書)など。