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第25回 触れることの大切さ

デジタル復元師 小林泰三


「新型コロナウイルスの蔓延で、世界中が大変なことになっている」第16回の書き出しがこうだった。
それが、今になっても状況が変わっていないとは、少なくても私は予想していなかった。
というよりも、さらに悪くなっているのには驚くしかない。
今、原稿を書いている時点では、新規感染者数は毎日、最高を更新している。
特に東京では増加に歯止めがかからずに、千人に迫ろうとしている。
これはある意味、日本人らしい事の進み方なのかもしれない。

第16回では、「辟邪絵(へきじゃえ)」のお話をしながら、昔の人の疫病やそこから来る恐怖との付き合い方に触れ、苦境に耐え、自らを鼓舞する様子を解説した。
この苦境に耐えるのは日本人の得意とするところで、先進国の中でも桁違いに感染者数を抑えることができた。
問題はその次にある。お上の仰せに盲目的に従い、頑張るだけ頑張った先に、その成果が見えずにさらにゴールを先延ばしされると、日本人はいつしか爆発寸前までエネルギーをため込んでしまうのだ。
それが一度、限界を超えて爆発してしまうと、人に迷惑をかけようが、自分の生命が危ぶまれようが、いっさい関係なくなってしまうほど「やけくそ」になってしまう傾向がある。東京の若者の心理は、特にそんな状態なのではないだろうか。
これはあくまでも根拠のない私の推測であるが、歴史にある「一揆」「ええじゃないか」などの騒動に同じような構図を見るのである。

私がこのコロナ禍に昔を見るのは、それだけではない。
「実感する大切さ」が、接触が禁止されている現状から、ますますないがしろにされ、すべてが架空の世界で完結してしまうこともそうである。
昔の人は、「夢か現(うつつ)か、現か夢か」という世界に生きていた。現実と夢想の間に揺らいで生きていた。
日照りが続き作物が育たなければ祈祷し、それこそ疫病が流行れば荒ぶる神を慰める祭を行った。
見えない異次元との間を、自由に行き来していた。
だからこそ、現実や手に触れることを大切にしていたし、どんなものにも精神が宿り、その扱いには気持ちを込めて丁寧に行ってきた。見えない世界と現実の世界を媒介する物質の扱い方を知っていたのである。
つまり、戦に明け暮れた現実世界で「ものに触れて実感する」ことによって、精神世界とのバランスをとっていたのである。

 
ワークショップ「賞道」での様子。
絵巻物を自分で操作しながら鑑賞したり、屏風も視線を低く。
見る位置や高さによっても見え方が変わる




私は、デジタル復元した日本美術のレプリカを使ったワークショップ「賞道」を通して、「触れることの大切さ」を伝えている。
この「賞道」を、この時代の流れに従って、バーチャルリアリティーで実現してみたり、そのワークショップの様子をネット配信してみたりしてきた。
それはそれなりの効果があり、今後も続けていくが、でも、基本はやはり「触れること」。
こればかりは古臭いといわれようが続けていこうと、想いを新たにしている。



  小林泰三・こばやしたいぞう

1966年、東京生まれ。
大学卒業時に学芸員の資格を取得。
2004年小林美術科学を設立し、本格的にデジタル復元の活動を開始。
著作に「誤解だらけの日本美術」(光文社新書)など。