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第13回 雪月花のこころ

デジタル復元師 小林泰三

©小林美術科学

たびたび、日本絵画は「見立て」が大切ということを口にしているが、前回は特に「ないものをあるように見る能力」についてお話しした。そこで書いているうちに気がついたことがある。

掲載2年目初めの今回は季節柄、雪の話をしようとしたところ、そういえば雪を復元した記憶がほとんどない。
正確に言うと、雪景色は多少あるが、降る雪を描いた記憶がないのである。
北斎の富士にかかる雪、日月山水図屏風の雪山、そんな程度だ。
しかしただ一つ、特に雪景色はという意味では、正にそのものと言える鈴木春信の珍しい作品「寄雪恋」をデジタル復元したことがある。

この作品の退色は著しい。
輪郭となる部分を墨ではなく、瑞々しい青色のツユクサで刷っているので「水絵」と呼ばれている。
復元してみると、非常に軽やかでフレッシュな印象である。
鮮度のいい野菜のようだ。それはある意味間違っていない。
売る方もすぐに退色するのを承知でツユクサの絵具を使った上、買う方もその美しさが短いのを承知で買い求めた。浮世絵はやはり消耗品だったのだ。

雪の降る中を小舟が進む。水の都だった江戸の、今では味わえない風情がある。
私は思わず「雪の降る中を」と表現した。雪が降っている様子は描かれていないのに。
この儚い色の繊細な表現に、私は無意識に降る雪を「見立て」たのである。
そうしてみると日月山水図の雪山も、雪が降り止んだのではなく、降り続けていると想像してみるのも楽しい。

どこまで想像していいか、この突っ込み具合はまったくの自由なのだが、多少の経験があるとその作業がしやすい。
例えば、「平治物語絵巻 六波羅合戦巻」を復元した時である。
物語のクライマックスの一巻のさらにクライマックスのシーン、三条河原の合戦に向かう場面で不思議な描写がある。
下の方を見ると、馬の足が描かれていないのだ。これはいったいどういうことだろうか。
実は、足先は川の中に入っていることを表している。河原での決戦をこれによって演出しているのだ。
そこで見る側は、描かれていない川面や水しぶき、あるいは砂利のきしむ音まで想像して、物語に没入する。

そこで改めて日月山水図の雪山である。どうであろう。三日月に怪しく照らされて舞う雪は。
まるで桜の花びらのように舞い、そして降り積もる。
このあまりにも繊細で儚い有様に、日本人はしびれるのである。

「雪月花」という言葉には、儚い小さな粒が、漂う魂のように風に翻弄され、そして消えていくその気持ちが込められている。それに気づかせてくれた俳句がある。
実は私の友人で、この「TOMO」でも連載をされている倉橋みどりさんが、私をトークのゲストに迎えてくれた、その名も「茶論 雪月花」にて、締めの一句として詠まれたもの。

月光や銀色の雪かと思ふ   みどり



  小林泰三・こばやしたいぞう

1966年、東京生まれ。
大学卒業時に学芸員の資格を取得。
2004年小林美術科学を設立し、本格的にデジタル復元の活動を開始。
著作に「誤解だらけの日本美術」(光文社新書)など。