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第71回(最終回) 味噌と居酒屋の泉屋

フォトライター 八木洋行


明治22年4月16日に東海道線藤枝駅が開業した。
しかし、藤枝駅は当初開設する予定が無かったらしい。
新幹線の前身になる東海道線を高速で走る〈こだま〉の走行実験を焼津駅―島田駅間で行っている。
なぜか? この区間が東海道線で一番直線距離が長いからだ。
つまり、焼津駅と島田駅の間に藤枝駅を開設する予定が無かったから直線で結んだのだ。
このことは藤枝駅と旧東海道の藤枝宿とは、2キロ以上離れていることからも理解できるだろう。

ところが、藤枝駅開設に奔走する男が現れた。青地雄太郎だ。
青地雄太郎は、慶応元年(1865)前島村(現在藤枝駅がある場所にあった村で、青島村に吸収合併)に生まれた。
東京専門学校(現早稲田大学)を卒業すると、すぐに帰郷して鉄道駅の開設に奔走する。
鉄道の利便性と、地域の発展に鉄道の駅は絶対必要だと地元の有力者を説いて回る。
しかし、なかなか賛同者が現れない。そこで、青地は広大な自分の土地を売却して資金を調達。
ようやく焼津駅と島田駅の中間に駅を開設できる運びになった。

青地はその後、24才で初代青島村長に就任。
36歳で衆議員議員に当選、4期つとめ、地域の産業・金融・交通の開発発展に奔走した。
藤枝駅の北口に青地雄太郎を顕彰すべく胸像が建つが、ほとんどの藤枝市民はその胸像がなぜそこにあるのかを知らない。

その青地雄太郎の子孫が藤枝駅前で味噌と居酒屋を営む。
「泉屋」といい、表で味噌を売り、その奥に居酒屋がある。
居酒屋は午後4時に開店。女将は青地淳さん。常連は「じゅんちゃん」と呼ぶ。
先代の青地達郎さんとおかみさんの喜久枝さんが居酒屋を始めたのが昭和54年だった。
平成27年に喜久枝さんが亡くなり、続いて達郎さんが平成29年に死去。
しばらく居酒屋も味噌屋も閉店していたが、令和元年に再び長女の美由記さんが味噌屋を再開し、長男の嫁の淳さんが居酒屋を再開した。

わたしは先代の頃から時々寄っては、常連の話を聞きながら呑むのが楽しみだった。
その頃の常連は、国鉄時代にSLの投炭手と機関士を経験したOBや、ブルトレの食堂車のコックなど鉄道関係の人が多かった。
蒸気機関車のカマに石炭を放る投炭は、上り勾配では手前に、下り勾配では奥に放り込む。
片手で石炭を放る「半スコ」(半スコップの略)、両手でスコップを握って放る「ワンスコ」とあり、D51形は「ワンスコ」、C11形は「半スコ」だったなどの話は今も忘れない。

淳ちゃんは、実に酒に詳しくこだわる。日本酒は地酒のみ。ウイスキーはスコッチ。
他にワイン、ジン、ウオッカ、焼酎、ビール、梅酒などが飲める。
つまみは、「こつまみ」一品300円、「つまみ」500円とあり、どちらも日変わりで6種類が並ぶ。
和食は勿論、中華風、イタリアン風、東南アジア風と多彩で毎日寄っても飽きない。
なんとかこのコロナ禍を乗り切ってほしい大事な居酒屋だ。
味噌は三河の八丁味噌が姿を消したのが惜しい。シジミの味噌汁はここの八丁味噌だったから…。



泉屋

住 所:藤枝駅北口静岡銀行並び
電 話:054-641-1417
営 業:味噌屋/月・水・木・土の11時~16時 居酒屋/月・水・金・土の16時~21時