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550 井伊家御用達の老舗菓子舗には井伊直弼に因む銘菓がある

彦根城

彦根城下に「いと重菓舗」という2百余年前から菓子を作り続ける老舗がある。
なんでも、初代重兵衛は湖北から彦根城下に移り、白壁町で糸問屋を営み副業として煎餅を焼いていたが、その重兵衛の妻ますが、ある日夢のお告げで白髪の老翁から菓子の製法を伝授される。そこで文化6年(1809)菓子屋に転じたというのである。
井伊直弼(なおすけ)が生まれる6年前のことであった。

白壁町は現在本町1丁目となっており、外堀に架かる京橋に近い瀟洒な軒を連ねる一角に、タイル張りの旧本町郵便局舎があり、その隣が「いと重菓舗」だった。7代目藤田武史さん(昭和46年生まれ)は、急に出張ということで、代表銘菓〈埋れ木〉について女将のみつるさんに説明をいただく。

埋木舎

〈埋れ木〉は、井伊直弼が過ごした「埋木舎(うもれぎのや)」に因みその名をいただいたという。
井伊直弼は13代彦根藩主井伊直中の14男として誕生。
兄の井伊直亮が14代彦根藩主に就くと、中堀に面する北屋敷に移り、ここで17歳から32歳まで部屋住みの身として過ごした。
この頃、「世の中をよそに見つつも埋れ木の埋もれておらむ心なき身は」と詠み、自らここを「埋木舎」と呼んでいた。
まさか、その後15代彦根藩主となり、さらに江戸幕府の大老に就き、日米修好通商条約の平和的締結に尽力するなど思いもしなかっただろう。
「埋木舎」は庭から屋敷内を見学できる。茶室もある風流な建物で、茶道や能楽・和歌・鼓などに没頭し、茶・歌・鼓をもじって「チャカポン」のあだ名をつけられたというのもわかる。

〈埋れ木〉は、手芒豆(白インゲン豆)を炊きあげた白餡を求肥で包み、和三盆糖に抹茶を加えてたっぷりまぶしてある。
包まれた白い和紙をほどくと、ふんわり丸く、春の若草山の印象だ。
菓子はまずその大きさに、その土地の品格が出るという。
井伊にかけてではないが、小さ過ぎず大き過ぎずにイイ。
それと一口目、求肥のとろけ具合と白餡の量、甘さ加減がマッチして思わず舌鼓を打つ。   

瀟洒な軒を連ねる一角に店はある











いと重菓舗 
滋賀県彦根市本町1丁目3-37

文・写真 八木洋行