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545 文豪井上靖が愛した 黄色いゼリー

©若松園

NHKの朝ドラ「エール」は、作曲家古関裕而と妻の金子をモデルに創作されている。
ドラマでは、関内音として女優二階堂ふみが熱演する金子は、愛知県豊橋市の出身で、豊橋の街を走る路面電車は、俳優窪田正孝演ずる主人公古山裕一(古関裕而)と音、二人の笑顔を大きくラッピングして走っている。

ところで音の父は馬具屋として登場するが、これは豊橋に陸軍第十五師団があり、軍馬の馬具を納品していたからであった。
当時、第十五師団の軍医だったのが、井上靖の父、井上隼雄である。
その父と母、妹は豊橋に住まいするのだが、どうしてか靖は一人、母親の里、伊豆の湯ヶ島で母の養母と土蔵で暮らしていた。
このあたりを井上靖は、自叙伝小説『しろばんば』に描いている。

ある夏に、両親と妹の小夜子がいる豊橋で何日か過ごし、父から「洪作、帰るか、ここに居るか」と聞かれ、洪作は躊躇しないで「おぬい婆と一緒に湯ヶ島に帰る」とこたえた。
母七重は落胆し、おぬい婆はほっと胸をなでおろすのだった。
そして明日帰るという前日の夕方をこんな風に描く。

「夕食が終わってから、洪作は、母の七重と小夜子と女中の四人で繁華地区へ買物に出掛けた。
そして若松園という大きな菓子屋へ立ち寄って、その喫茶部で菓子を食べた。
こうしたところで、菓子を食べるということは、洪作には初めてのことであった。
黄色のゼリーの菓子で、スプーンを入れるのが勿体ないように、洪作にはそれが美しく見えた。
口に入れると溶けるように美味かった。
洪作は、この美味さを上の家の祖母や、さき子や、幸夫たちに知らせることができないのが残念に思われた。
言葉で幾ら説明しても、説明できるとは思われなかった。」(新潮社文庫 P121)

しかし、どうしてこんなハイカラな水菓子が豊橋に生まれたのだろう。
実は、日露戦争のとき、豊橋にもロシア兵の捕虜収容所があった。
当時は緩く、ロシア兵が町中を自由に闊歩し、市民と交流があったという。
そのロシア兵の要望に応じて、初代(江戸時代は若松屋、明治になって若松園と改称。その初代)山田芳蔵は、サイダーはもちろん、アイスクリームも製造してみせた。夏ミカンを使った〈黄色いゼリー〉もその頃に登場したようだ。
ところが、今度の大戦で軍都豊橋は徹底的に爆撃を受け、若松園は焼失。
貴重な〈黄色いゼリー〉のレシピも失ってしまう。

その〈黄色いゼリー〉が復活したのは平成19年。
長泉町にある井上靖文学館から、それこそ熱いエールを送られ、若松園4代目山田亨司さん(昭和25年生まれ)が奮起した。
復活した〈黄色いゼリー〉は確かに美味しい。
洪作のようにスプーンを入れるのが勿体ない…と、しばらくじいっと眺め、そっとすくいとり口に運ぶ。洪作の感銘がわかる。

冷やした〈黄色いゼリー〉をいただいて、『しろばんば』を何年振りかで再び読む。
おぬい婆が亡くなり、三日腑抜けになった洪作は、土蔵の小さな窓から葬列を送る。
それから、空っぽになった土蔵にひとり座ると大きな淋しさを味わった。…うううう、この場面に涙した。

「エール」の路面電車
若松園






御菓子司 若松園 
豊橋市札木町87

文・写真 八木洋行