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538. 城下町には銘菓あり

東北本線白河駅に下りると、すぐ目の前に白河小峰城の天守が見えた。東日本大震災で石垣が大きく2カ所崩れたというが、現在は修復されて見事な石の壁が連なっている。
この小峰城をめぐり、新政府軍(白河では西軍と呼ぶ)と、奥羽越列藩同盟軍とが100日間の戦を展開した。
後に、この戦いを戌辰戦争白河口の戦いと呼ぶ。

白河は奥州街道と会津街道・原方街道・棚倉街道・石川街道などが交叉する場所で、東北と関東が接する重要な場所であった。それだけに奥羽越列藩同盟軍は、小峰城を新政府軍からどうしても奪還したかった。しかし、7回の奪還戦でも敗退している。

この白河口の戦いより少し前、白河藩に菓子作りが上手な武士がいた。やがて白河藩御用達となる。文久3年(1863)創業の菓子鋪玉家は、その菓子作りが上手な武士が家祖という。店は城下の本町奥羽街道沿いにある。

現当主武川一世さん(昭和48年生まれ)9代目は、「玉家を代表する〈烏羽玉〉は、求肥でこし餡を包むのですが、ご城下を流れる小川に水車をかけ、米を搗いて寒ざらし粉(白玉粉)を作り、それを蒸して砂糖と水飴を加えて煉ると、透明感のある求肥ができあがります。それでこし餡を包むと、表面は烏の羽のような艶をおび、当家では昔から〈烏羽玉〉と文字をあててまいりました」
と、老舗の女将らしく凛として語られた。

芭蕉は元禄2年(1689)5月、曽良とともに白河の関にかかり、「白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」と記す。曽良は、「卯の花をかざしに関の晴着かな」と詠んだ。
古人は衣服を改めて白河の関を越えたというけれど、私たちには改める衣服などないので、せめて卯の花をかざして関を越えよう…ということらしい。
白玉粉で作る求肥に包まれた〈烏羽玉〉は、白河の関の「白」と、清らかな心根で関を越えた古人の魂(玉)とを重ねて、いかにも白河の関にふさわしいみちのくの銘菓だ。


菓子舗 玉家 
白河市本町46

文・写真 八木洋行