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536. 東洋と西洋の文化が見事に融合した餡入りカステラ

薬オタクの徳川家康は、駿府在城時に薬草園をつくり、高麗人参の栽培を試みるが失敗に終わっている。
この意志を継いだのが8代将軍徳川吉宗だった。対馬藩に高麗人参の栽培を命じ成功すると、この種を各地の大名に栽培を許可する。
会津藩もさっそく会津一円で栽培し、文政年間には〈和人参〉として長崎から清国へ輸出されるようになった。
この和人参の輸出によって、会津藩は長崎に人参奉行を置く。それ以来、長崎を通してポルトガル南蛮文化が会津にもたらされた。

会津藩御用の茶問屋、二字屋治郎左衛門を家祖とする「会津葵」の9代目五十嵐大祐氏は、昭和28年頃より会津藩に伝わる『料理献立書』『茶会記』などから、会津茶道と南蛮文化の融合をテーマに菓子を創案し始める。
中に「かすてら玉子」なる献立があり、これがカステラの祖型につながることを手掛かりに、カステラで餡を包む「かすてあん会津葵」を創案。
上品なこし餡を、これまた繊細なカステラで包み、金印を想像させる四角につくる。
表面には会津藩公の文庫印「会津秘府」を刻印。
店の屋号も、この「かすてあん会津葵」から「会津葵」とした。
菓子商としての歴史は戦後からではあるけれど、西洋と会津を結ぶ海路と陸路のシルクロードを通して、東洋文化と西洋文化の融合という先代の夢は、10代目五十嵐康祐氏が受け継いでいる。

鶴ヶ城追手門まえに移築された土蔵は明治8年に建築されたもので、この土蔵を本店に、すぐ裏にレンガ造りの会津葵シルクロード文明館を平成4年にオープン。
中には海と陸のシルクロードから集めた美術品300点を展示しており、中2階は喫茶室になっている。
かすてあん会津葵と紅茶をセットにするメニューもあり、ゆったりとシルクロードを味わうことができる。


会津葵 
会津若松市追手町4-18

文 八木洋行 
写真 会津葵提供