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535. こけしの郷にふかふか饅頭があった

福島駅からバスで50分、秀峰吾妻山のふところに抱かれる谷間に、土湯温泉の町があった。
土湯は鳴子、遠刈田と、こけしの三大発祥地の一つとして知られる。
バス停を降りて少し歩くと、清流荒川にかかる橋の脇に人の3倍もあろうか、大きなこけし像が立っている。
その橋の向こうに土湯温泉饅頭で知られる「なかや菓子店」があった。

3代目の陳野原(じんのはら)繁明さん(昭和42年生まれ)と、女将の美紀さん(昭和47年生まれ)がニコニコ顔で迎えてくれた。
苗字の「陳」は「陣」の間違いではと思って聞くと、陳をジンと読ませるのだという。
土湯に2軒、三春の方にもあるとか。
しかし、先祖がどうしてこの土湯に来たのかを知りたくても、昭和29年の大火で全て焼失して不明とのこと。
創業者の万吉(大正3年生まれ)はこの大火で被災し、それまでの豆腐屋を廃業して団子と大福を売り始めた。

土湯は、相馬から福島を経て浄土平を越え、会津へ塩を運ぶ道筋にある。
閉塞谷の温泉地かと思ったが、この谷の尾根筋は塩の道が通っていたのだ。
だから温泉客だけでなく、山越えの人々にも団子と大福は喜ばれたらしい。

温泉饅頭を作り始めたのは、2代目の弘治さん(昭和16年生まれ)だった。
黒糖を混ぜた生地でこし餡を包み蒸かす。
さっそくいただく。おおッ、ふかふか饅頭だ。こし餡も絶妙な甘さ加減。
3代目になって、つぶ餡の薄皮饅頭・くるみ饅頭・黒ゴマ饅頭・ずんだ饅頭なども加わった。みなこの辺りで食べられてきた餡だ。

土湯はその昔、大穴貴命が荒川のほとりを鉾で突くと、こんこんと湯が湧き出たことから「突き湯」と呼ぶようになったが、いつの頃からか「土湯」になった。
また、聖徳太子の命で陸奥に仏教を広げようと旅していた泰河勝が、疲労困憊半身不随になる。
すると、聖徳太子が夢枕に立ち「霊泉突き湯に身を浸せ」という霊験の通りすると、たちまち回復したという。
その聖徳太子堂へ続く石段をのぼって行くと、カモシカがこちらを見ていた。

なかや菓子店 
福島市土湯温泉町八郎畑2

文・写真 八木洋行